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【もうすぐなくなる日本の名建築】佐藤武夫〈岡山市民会館〉

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November 20, 2023 | Architecture, Design | casabrutus.com

老朽化やニーズの変化などにより、閉館や解体を迎えている国内の建築群。その中には、後世に伝えたい名建築が数多くあります。新連載『もうすぐなくなる日本の名建築』では、間も無く解体を迎える、もしくは検討をされている日本各地の名建築を紹介。第1回目は佐藤武夫の設計した〈岡山市民会館〉を巡ります。

〈岡山市民会館〉大ホールの外観。2階テラスの先端部に国旗掲揚塔が立つ。

JR岡山駅から、路面電車の東山線に乗る。3つめの電停「城下」で降りて、微妙にカーブしながら東へと延びる並木道を進んでいくと、石垣の向こうに濃茶のタイルが張られた建物が見えてくる。2024年3月末に閉館を予定している〈岡山市民会館〉だ。

〈岡山市民会館〉は、岡山市民の文化芸術活動の拠点として、1963年に完成した。建物は客席部が八角形平面の大ホール棟と、大小の会議室を備える附属棟からなる。大ホールの外装は濃茶のタイル張り。大きな壁は傾いているように見えるが実は垂直に立っている。

壁と壁の間に入るスリットが上に行くほど広くなっているので、斜めに錯覚するのだろう。公道のすぐ脇に立ち上がる壁の圧迫感を、少しでもやわらげようという設計の工夫である。コンクリート製の中空ブロックを組み合わせた出窓状の張り出しも、壁面の単調さを免れるのに大きな役割を果たしている。

大ホールの入口と、その上に架かる出窓状の張り出し。

中に入ると広大なホワイエが。斜めにかかる天井は、大ホール客席の床の裏側にあたる。敷地の広さに余裕がないため、ホワイエを客席の下部に収めたのだ。高さが違う床をつなげて、立体的な構成を採っているからか、きゅうくつな感じはそれほどない。白い手すりが、空間のダイナミックさを視覚的に強調する。ホワイエの3面には、モザイクガラスのトレーサリー(ゴシック建築に見られる装飾様式)が設けられ、昼間は内部に華やかな光の効果を生み出している。夜間は逆に、内部から漏れる光で外を歩く人の目を引く。

大ホールのホワイエは、高さの異なる床が階段でつながる立体的な構成を採っている。

トレーサリーはプレキャスト・コンクリートのブロックに色ガラスを嵌め込んで制作したもの。トレーサリーのデザインは、東京・新宿のジャズ喫茶〈DUG〉の内装設計なども手がけた建築家の岩淵活輝が担当した。

中空コンクリート・ブロックとモザイクガラスを組み合わせたトレーサリー。

ホワイエの壁は、コンクリート打ち放しの面をはつることで仕上げている。「はつる」とは、表面をノミで叩いて削り、わざと不均質で凹凸が付いた面にすることを言う。手間がかかるこの仕上げを、広い面積にわたって行っている。その一部は、日本画家の吉岡堅二によるレリーフ作品《牧神》となっている。

コンクリート打ち放し、はつり仕上げの壁面。

続いて大ホールへ。大ホールは1718席を擁する。2階席の割合が大きく、舞台の近くまで迫り出しているのが特徴で、見やすく演じやすいホールとの評判を得ている。かつては観客が少ない催しでは、電動式の暗幕で2階席の空間を塞ぎ、1階席だけで使えるようにする機構も備えていたという。多目的な利用に対応するための工夫である。ホワイエと同じく、壁面はコンクリート打ち放しのはつり仕上げ。これが音響性能の向上にも貢献している。

大ホール。壁面はホワイエと同じく、コンクリート打ち放しのはつり仕上げ。

大ホール入口前の天井照明や、軒先の雨樋など、建物の細かなところにも見所は多い。道に沿って延びる2階テラスの軒下空間は、建物と都市をつなげる緩衝ゾーンとして働いている。

2階テラスの先端部には、国旗掲揚塔が立つが、高さがなんとなく中途半端な印象も。実は当初の案では、大ホールを超える高さの時計塔を建てるつもりだったが、予算の都合がつかずに実現しなかったらしい。設計者の佐藤武夫は、同時代の建築家では珍しく、自分の建築作品に塔を立てることを好み、「塔の佐藤」とも呼ばれていた。

沿道に伸びる軒下空間。突き出た樋から落ちる雨水を、下の円形鉢で受ける。

設計者の佐藤武夫は1889年、名古屋市生まれ。早稲田大学で建築を学び、卒業後は同大学で教鞭をとる。恩師である佐藤功一の下で、〈早稲田大学大隈講堂〉の設計にも携わった。1945年、大学在職中に自らの設計事務所を立ち上げ、後に職を辞し自身の活動に専念。以後は公共施設を中心に、全国各地で旺盛な設計活動を行う。

〈岡山市民会館〉を設計した佐藤武夫。

特に文化会館の設計では、第一人者として認められていた。そこには、大学在職時代に音響学を修めた経験が生きている。代表作に、〈旭川市庁舎〉(1958年)、〈防府市公会堂〉(1960年)、〈熊本市民会館〉(1967年)、〈北海道開拓記念館〉(1970年)など。1972年に没するが、佐藤武夫設計事務所は佐藤総合計画と名前を変え、日本を代表する組織設計事務所のひとつとして活動を継続している。

竣工当時の空撮写真。写真下手の〈岡山市民会館〉の右脇が〈山陽放送会館〉。その上に前川國男の設計による〈林原美術館〉や、同じく前川による〈岡山県庁舎〉も見える。
竣工当時の写真。附属棟の入口前には噴水があった。

敷地は石山台と呼ばれる台地の上で、烏城(うじょう)とも呼ばれる岡山城があったエリアだ。すぐそばを流れる旭川を挟んだ反対側には、日本三名園のひとつである後楽園があり、JR岡山駅から東へ伸びるメインストリートの先にも位置している。このあたりは、岡山市のマスタープランで「丸の内文化地区」として位置付けられたところで、付近には前川國男の設計による〈林原美術館〉(1963年)や〈岡山県庁舎〉(1957年)が建つ。都市のコアとも言うべき文化・行政の中心ゾーンが形成されるなかで、〈岡山市民会館〉はその中心的な役割を担っていた。

建設当時の様子。

隣接する〈山陽放送会館〉も同時期に一体の計画として、佐藤武夫により設計されたもの。〈岡山市民会館〉の附属棟と高さを合わせ、外観デザインも揃えることで、鏡を置いたかのように2棟は向かい合っている。竣工時は奥に〈NHK放送会館〉も建っていたため、ここには3棟の建物に囲まれた、ヨーロッパの旧市街で見られる広場のような都市空間ができ上がっていた。市民が集う都市のオープンスペースをいかに生み出すかは、当時の建築家たちにとって大きなテーマだった。その課題に、佐藤武夫はこのような形でこたえたのである。

〈岡山市民会館〉の附属棟。大小の会議室を収めて公民館のような機能を担う。4階の大会議室は当初、結婚式場だった。

〈岡山市民会館〉と同時にその役割を終え、閉館するのが、旭川を挟んで対岸の少し離れた場所に位置する〈岡山市立市民文化ホール〉だ。竣工は1976年。〈岡山市民会館〉がプロの音楽公演に対応した大規模ホールなのに対し、こちらは演劇や市民の発表の場として活用されてきた。内部には802席を収容するホールや、ギャラリー兼リハーサル室を収める。ホワイエやホールの壁には、岡山県を産地とする備前焼が使われ、独特の質感を表している。ホワイエの窓からは、川越しに街の風景を見渡せる。設計を担当したのは、建築モード研究所。かつての〈渋谷公会堂〉などを設計した事務所である。

〈岡山市立市民文化ホール〉の外観。

岡山市が〈岡山市民会館〉と〈岡山市立市民文化ホール〉の建て替えを検討し始めたのは、平成24(2012)年度からだった。両建物の稼働率は60〜80%で、公立文化施設の全国平均を大きく上回っていたが、求められる耐震性能を満たしていないこと、バリアフリーに未対応であること、設備や機能が老朽化していることなどを理由として、両建物の役割を集約した新しい文化芸術施設を、市内の別の敷地に建設するという方針を定める(岡山市「新しい文化芸術施設の整備に関する基本構想」平成27年より)。

〈岡山市立市民文化ホール〉のホワイエ。

こうした動きに対して、建物が壊されることを惜しむ声も挙がった。2021年度、ドコモモ・ジャパンは「日本におけるモダン・ムーブメントの建築」のリストに、〈岡山市民会館〉を追加選定した。日本建築学会中国支部は、2022年6月に〈岡山市民会館〉の保存要望書を市に提出した。また、日本建築家協会中国支部岡山地域会は、シンポジウム『建築の再生活用を市民と考える』を〈岡山市民会館〉で2023年2月に開催し、再生活用の方策を探った。

しかし建物を解体する方針は覆ることはなかった。〈岡山市民会館〉と〈岡山市立市民文化ホール〉は、ともに2024年3月に閉館する。それまでの1年間をかけて、〈岡山市民会館〉では、『見納め見学会』『あの日の思い出展』『ファイナルコンサート』など、さまざまな閉館記念事業を行なっている。そうした中で、新しい芸術文化施設〈岡山芸術創造劇場ハレノワ〉も、2023年9月にオープンを果たした。

〈岡山市民会館〉に代わり2023年9月に開館した〈岡山芸術創造劇場ハレノワ〉の外観。設計は竹中工務店が中心を担った。
〈岡山芸術創造劇場ハレノワ〉の吹き抜け空間。

市が公表している整備方針によれば、〈岡山市民会館〉の跡地は、憩いや賑わいの場となるオープンスペース(公園)に変わる。〈岡山市民会館〉のメモリアルを設置することも検討するという。

日本では1960年代になって全国各地で文化会館が建てられた。その設計を多く担ったのが佐藤武夫であり、〈岡山市民会館〉はこの時代の文化会館建築の典型といえる。その一方で〈岡山市民会館〉は、都市の歴史的な文脈を意識しながら、必要とされる機能を限られた敷地の中で実現した、ここにしかない優れた建築だった。解体されるまでの短い期間のうちに、目に焼き付けておきたい。

〈岡山市民会館〉

岡山県岡山市北区丸の内2-1-1。TEL 086 223 2165。2024年3月の閉館まで、コンサートなど様々なイベントを開催予定。2024年3月23日、24日の2日間にかけて、閉館前の最後のイベントとなる『Last Song for 岡山市民会館』も開催する。施設の見学などの詳細は、電話にて問い合わせを。

設計者|佐藤武夫

1899年名古屋市生まれ。1924年早稲田大学理工学部建築学科卒業。1935年「オーディトリアムの音響設計に関する研究」により工学博士を取得。1938年から早稲田大学教授に就任し(~51年)、1945年に自宅で設計事務所を始める。1957年からは日本建築学会会長を務めた(~59年)。1972年没。代表作に〈岩国徴古館〉(1945年)、〈旭川市庁舎〉(1958年)、〈新潟県民会館〉(1967年)、〈熊本市民会館〉(1968年)、〈北海道開拓記念館〉(1970年)、〈城南信用金庫本店〉(1970年)など。

磯達雄

いそ たつお 建築ジャーナリスト。1963年埼玉県生まれ。名古屋大学工学部建築学科卒業。『日経アーキテクチュア』編集部勤務を経て、2000年に独立。現在は、編集事務所〈Office Bunga〉を共同主宰。共著書に『昭和モダン建築巡礼』シリーズ、『ポストモダン建築巡礼』(ともに日経BP)、『日本のブルータリズム建築』(トゥーヴァージンズ)など。

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