October 17, 2023 | Culture | casabrutus.com
これまでになかった手法で、新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。20世紀の最も重要な画家の1人であり、抽象主義やキュビスムを含む多くの芸術運動の中心となったパブロ・ピカソ。多くのジャンルで優れた作品を生み出すことができたのはなぜか? 晩年に遺した彼の言葉にヒントがありました。
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画家は、スタイルなどということは、決して口にしたいとは思わない
「最も多作な美術家」としてギネスブックに認定されているピカソ。油絵や素描、版画や銅版画、陶器など生涯の制作点数は15万点にも及ぶとも言われ、時代によって変化する作風の多様性は驚くべきものだ。
活動初期はリアリズムの手法で絵画を制作。その後、青みがかった色彩で貧困や孤独などを主題とした作品を多く発表した「青の時代」、ピンクやオレンジなど明るい色彩がキャンバスを支配した「ばら色の時代」、複数の視点から見たイメージを一枚の絵の中に集約し表現しようとした「キュビスムの時代」など目まぐるしく作風が変化。古典主義的なスタイルに回帰したかと思えば、当時フランスで起こった芸術運動に影響を受けた「シュルレアリスムの時代」もあった。また、《ゲルニカ》に代表されるように戦争と平和に焦点を当てるようになり、晩年は抽象表現主義に傾倒。旺盛な想像力を発揮して、時代ごとに異なるプローチを取った。また、その都度、関係を持った女性たちから影響を受け、彼女たちをモデルにした肖像画も数多く描いた。さまざまな画風で見る人を楽しませ、物議を醸し、次世代の画家たちに影響を与えたのだ。
美術評論家の瀬木慎一はこの好奇心旺盛な画家に会う時、数種類の紙を持っていったという。書画用や“俗っぽい”透かし模様の入った装飾紙を面白がり、すぐに「何かしてみよう」とピカソは手を動かした。その行動を見た瀬木は「すぐさま『描く』行動から始まるのがピカソの芸術であった」と感じ、エレーヌ・パルヌマンが書き留めた彼の言葉を思い出した。「画家は、スタイルなどということは、けっして口にしたいとは思わない」。
キャリアの初期から晩年まで、作風を一つに絞ることはなかったアートの巨匠。一つの表現スタイルを自身の個性としてきわめていく作家も多い中で、ピカソは惜しげもなく捨て、前進を続けた。作風の豊かな変化は、生涯をかけて芸術を探求したことを示している。
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